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蔵見学「男山本店」

えー、お久しぶりでございます。^^;
もういろいろ面倒なので、言い訳するのも諦めます。
すっかりサボってました。すみません!!!

話は昨年10月初めにさかのぼります。

お友達の佐々木亜衣子さんに声をかけていただき
気仙沼の男山本店さんへ蔵見学に伺ってきました。

Pa021702

(3カ月半も前で、すっかり時間がたってしまいまして。。トホホ)

Pa021684

案内してくださったのは、男山本店・杜氏の柏さん
ちょうど、造りが始まる直前でお忙しかったはずなのですが 

とても丁寧に説明をしてくださいました。

麹室を見せていただきました。

Pa021689

大吟醸もすべて床麹法で造っているそうです。

以前は、ふた麹法で麹を造っていた時期もあったのですが

前・杜氏の鎌田さんの時にすべて床麹法に切り替えたとのこと。

 

「麹さえしっかり作ればだいじょうぶだ」

との鎌田杜氏の教えを守って、

麹には時間と手間をかけようと思っている、と柏さん。

毎日人が泊まって、データをしっかりとっているそうです。


その麹は、南部杜氏の流れをくんだ突きハゼ麹。

少しの麹菌で力を持たせる麹の付け方で
できるお酒はすっきりキレのあるものに仕上がります。
港町の蔵なので、魚に合わせるようにすっきり辛口で。
でもその中に複雑で繊細な味わいがある、

そんなお酒をイメージしながら作っている、

と柏さんは話していました。

Pa021692

Pa021693

酒母室と麹室が2階になっているのですが
蒸し米や、出麹した麹を少ない労力で移動できるように
工夫がされています。

Pa021688

柏さんは今期で杜氏として3造りめ。

鎌田杜氏から後を頼まれるまで
まさか自分が杜氏になるとは考えたこともなかったそうです。

「プレッシャーでしたけど、腹をくくりました。
それに杜氏といっても酒造りは私1人でできるものではない。
蔵人たちが協力してくれますから」。

 

最初の2造りは無我夢中だったと柏さん。

「3造りの今期、今さらながら怖い」とも。

「もっといいものを、というプレッシャーがある。
でも、造るのは臆病なくらいがいいのかもしれません」

 

蔵を背負って、慎重にていねいに。そして高みを目指す。。。

柏さんの、その責任感の強さがやはり杜氏向きのように感じて、

鎌田前杜氏は、その辺を見抜いていらしたのかなあと思いました。

そして、気仙沼といえば東日本大震災で甚大な被害を受けた土地です。

実は、私、一昨年(2013年)の秋に、
某仕事で震災当時のお話を柏さんに伺う機会がありました。
その柏さんのお話、原稿では割愛した部分が多くあります。
でも、あの時の現地の状況や、
どんな思いで酒造りを続けておられたかを
私のところで埋もれさせたくない、
ぜひ皆さんにも知っていただきたいと思い
インタビューの内容をここでご紹介させてもらいます。
テキストのみで非常に読みづらいと思うのですが
目を通していただければ幸いです。

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「まもなく造りが終わるという時期でした。
朝仕事もなくなっていて、
小さなタンク2本のもろみを搾ったら今期の終わり、という感じでした。
ゆっくりした仕事の流れの中で、私たちも蔵にいて.
あの揺れが来たのはそんな時です。

あわてて逃げ出してきましたが、かなり長かった。
煙突も倒れるような勢いの揺れで、蔵の中のタンクも心配でしたけど
どうすることもできなくて、揺れが収まるのを待つしかなかったです。
津波のことは最初頭になくて。

そうこうしているうちに、まわりがざわついてきて悲鳴が聞こえてきて
下の事務所の事務員も上がってきて、みんなで山の上に逃げました。
パソコンのバックアップデータを持って。
津波が来た時は、山の上から波の動きは見られなかったけれど
桟橋とか、動かないものが動いてるのは見えて。
なんか変だなというのは感じていましたが、
その時もまだまさかこんなに被害が大きいとは思ってなかった。

16人が5台の車の中で一夜を明かしました。
携帯はつながらず、会社や町がどうなっているか分からず
夜、車のカーナビのテレビを見て状況を初めて知りました。
鹿折地区の空一面が火で真っ赤で。
どこで燃えてるのか、いつこっちにくるのか、
不安でした。

ほとんどみんな寝れない状況で夜があけて
みんな、家族が心配でいったん家に帰りました。
「次はいつ集まろう」とか「会社はどうなる」とか
そんな約束事はなく解散しました。

避難所の中学校へ行って初めて家族の無事を確認できました。

私は地元の消防団だったので、その後は活動に追われました。
消防団は何をするかというと、人を探さなきゃいけない。
生きてない方たちを探すんです。
家族が生きてて良かったと思った次にはそんな現実。
夢を見ているような、本当なのか、うそなのか分からない、
そういう生活がそこから何日か続きました。

私が蔵へ行ったのは1週間後くらいだったと思います。
残っていたもろみが気がかりで。
とりあえず、社長と鎌田杜氏と、蔵人1人が
氷で温度を下げながら管理をしていたんですが、
分析もできないし、見た感じはもうしぼらざるを得ない。
でも搾ると言っても、電気がなければどうしようもない。
電気を何とかしてくれと、社長と杜氏がかけあっていましたが
もう捨てるしかないかなと私は思ってました。

その時の気仙沼で会社として残って仕事ができる状態だったのは
うちと角星さんくらいでした。

「気仙沼として動ける人は動きなさい」って、
地元の方々が大きな発電機や油を提供してくれて
電気の配線を電気屋さんがしてくれました。全部無償です。
あのころは、気仙沼ブランドがもうなにも商品として出せない状況。
「何かしら出せるなら出しなさい。それが気仙沼の現状を
伝えることにつながるから」ということでした。
とにかく商品を出しなさい、と周りから背中を押される感じで
我々は仕事を再開しました。

でも、家族を亡くした社員もいるし、周りの家にはまだ電気も水も無い。
そんなときに、電気や水をお酒を搾るために使わせてもらうことに
個人的にはすごく抵抗がありました。
社長にも「洗い水としてこんなにたくさんの水を使うより
みんなに分けるのが当たり前。こんなことをやってる場合じゃない」
とかなり感情的になって言った記憶がありますね。

でもその時社長は、
「気仙沼を発信しなきゃいけない。
それができるのは今動ける我々くらいだから
そこは無理をしても商品を届けよう」と言ったんです。
それで説得されて、人を集めて酒を搾ることにしました。
ここで発電機をがんがん動かしてましたけど、

近所の人もだれも非難めいたことをいう人はいませんでした。
みんなに応援してもらったという感じです。
変な使命感がありました。

電気が通じたら、問い合わせや注文がどっときました。
運送のほうが動き出して、なんとか出荷できる状態になって
フラフラになりながら出荷作業をがんばっていました。
でもあの時仕事があったことでがんばれました。
出来ない状況だったら、また違っていたと思います」。

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震災から、まもなく4年になろうとしています。
男山本店さんをはじめ、宮城、東北の酒蔵の皆さんは
一年一年、一造り一造りを、たいへんな覚悟で乗り越えてこられました。
今、日本酒は何度目かのブームを迎えているのだとか。

その後ろに、この4年間の蔵の皆さんの苦労があることを忘れず
大切に飲んでいこうと思います。

Pa021700

最後は、男山本店の営業の加藤さんも顔を見せてくださり
参加のみんなと記念撮影。
(着ていらっしゃるのは、なんと純米酒BARTシャツの
2014年バージョン! 感激!)

柏さんはじめ、蔵の皆さま、たいへんお世話になりました。

ありがとうございました!
春には無事皆造を迎えられますようお祈りしています。

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